丸太材の管流
日置川本流と城川および関連谷川の概略
●日置川は和歌山県の南部に位置し、奈良県境の果無(はてなし)山系を水源地として太平洋に向かって流れている(図@)。
川の延長は約79km、流域面積約415kuと言われ常時水量は豊かで、昭和28年ごろまでは四季を問わず丸太材の管流がみられた。ちなみにこの流域では古くからスギ・ヒノキの造材が盛んで、今でも200年を超える熟齢林分が所々に残っている。
▲図@ 該当地域図 和歌山県西牟婁郡白浜町・城・小川
●城川は、日置川口より上流約20km付近から東に延びている枝川で、川の延長は約20kmにも満たない小さい川である。川幅は中流付近の平均で15〜16mぐらい、平常は川原の中ほどを流れる川瀬は5〜7mの幅で深さ15〜30cm、川底の砂利が数えられるほど透き通った水は昔どおり今も流れている。
当時、日ごろ静かなこの川も、稀に雨台風などで降水量が異常に多くなると、川は荒れ狂い濁った水は川原を埋め尽くして、橋を流し、川岸を削り取り、増水待ちをしていた大切な丸太材をも奪い去るなど、惨憺(さんたん)たる爪痕(つめあと)を残すこともあった。
しかし多くの場合、増水後の引き水を利用し、前述の日置川本流を経由して10日前後で、大量の丸太材を製材工場の並ぶ日置(浜(はま)と呼んだ)へ運んでくれる大切な川であった(注:当時日置には、川縁に10数軒の製材工場が並びおのおのの広い土場を備えていた)。
●鉄砲堰(てっぽうせき)のあった谷川は、城川に注ぐ延長4〜5kmほどの川で、いずれも谷口より2km以内の適当な箇所を(後述)選んで鉄砲堰を設置していた(図A)。
管流の準備
●丸太材が川縁に集積し終わると、丸太材の所有者等(代行者を含む・・・以下事業主と呼ぶ)は、やがて来る増水時に備えて、丸太材の数量を勘案しながら単独で管流を実施するか、あるいは他の所有者等と合川(あいかわ)で(複数の所有者等が相談した上でどちらかが事業主となる)管流するかどうかを決める。・・・合川の場合は当然両者の丸太材は混成する。
●事業主は川縁に集積している丸太材と、鉄砲堰によって流送してくる丸太材とを併合しての管流を予定している場合には、城川縁組作業員と鉄砲堰組作業員との二組に組分けを考えておく(理由は鉄砲堰による流送は谷幅も狭く、一国に水嵩(みすかさ)が上がるので慣れていないと危険が伴うため、特に経験が必要であった)。
●1回の管流(一川(ひとかわ)と呼ぶ)で、流送する丸太材の数量の目処(めど)を、約2,000石(約556立方メートル)とし、2割内外の増減は許容範囲内であった。また事業主等は、1回の管流期間中に生ずる、丸太材の損失(折損木や沈没木)率をおおむね3〜5%と予想していた。
●事業主は引き水の度合いに合うよう、管流作業を効率的に進めるため、作業員全員の昼食については、担当者を決めて1箇所で炊事し、それぞれの流送作業現場まで運んで支給できるよう、必要人員の手配と併せて米・副食・運搬容器等準備した(図B−2)。
●管流中に夜間不意の増水等により、緊急に丸太止め場を(図D−2)作る必要ができた場合を予想し、石油松明(たいまつ)を点検しておく(図B−1)。
管流実施時期の決断
管流実施中で一番恐れたのは、再増水による丸太材の太平洋への流出であった。
しかし、あまりこのことにこだわりすぎていると、水位が下がり丸太材が流れない事態にもなるので、事業主は空模様を見ながら実施時期の決断に、神経をすり減らしそうだ。
特にラジオも電話もなかった終戦時には、管流実施への決断は経験と勘を信じて、神様に祈りながら決めたと言っておられた。
管流実施に伴う手配
●管流対象丸太材の石数を把握(はあく)する。
●上記丸太材の石数を基に必要な作業員数を決め、世話人を通じ作業員を雇い入れ、それぞれの持ち場を説明した後配置に付いてもらう。
●炊事係の作業員は、事業主の指示に従い5升炊飯を使って、作業員に見合う飯を炊き、木桶に入れて運べるようにした(図B−2)。ちなみに昼食時に集まった作業員はそれぞれ木桶に入った御飯でお握りを作って、菜っ葉漬と沢庵(たくあん)をおかずに食事とした。
例外として、谷川の鉄砲堰の活用による管流現場のみ現地炊飯とした(図B−2)。
●丸太止め用や、一枚筏(後述・・・図B−1)用に必要な藤ツルの調整を依頼する(藤ツルは、使い慣れると、強くて手軽に使えどんなに複雑に結んでいても、手斧(ちょうな)で断ち切れば簡単に解け、後に何も残らない利点があった)。
●日置川本流での管流に備えて、諸手続きをするとともに川舟を2隻予約する。
▲図A−1 鉄砲堰の構造(丸太の鉄砲水出し。川下より見た図)、▲A−2 湛水時の鉄砲堰(左下図)
▲図B−1 作業員の使用具
谷川・城川・日置川本流別の管流作業の概要
@谷川での鉄砲堰の活用
ア.鉄砲堰の設置箇所および構造
前述のとおり谷川の延長は4〜5kmと短いので、降雨後の増水も早いが、引き水も早いため鉄砲堰の活用は2日間ぐらいが適切だったようである。したがって鉄砲堰の設置箇所も谷川の中流より下手の位置で、谷幅がやや狭まっていて、両岸が岩盤になっている場所を選んでいた。堰の構造は(図A−1)のとおり、太い長木を軸に丸太材と角材を組み合わせ、水門箇所には厚い板材を使っている。
イ.作業員の配置
鉄砲堰の操作に当たる者には、これに慣れた熟練者をあてその補佐に二人付ける。他の作業員は二組に分けて、堰の上流に堆積(たいせき)している丸太材を貯水範囲内に引き入れる組と、一方堰の下流にいて鉄砲水とともに放出された丸太材を、渋滞なく流れに乗るように誘導する組とに分ける。特に下流にいる組は放出時の一刻、水位が1m近く上がるので注意しながら作業を続ける必要があった。
ウ.鉄砲堰の操作
貯水を始める前に堰の要所を点検し、異常なしを認めた場合は、直ちに水門箇所を閉じて貯水を開始する。途中漏水が見つかれば苔(こけ)や山土を使ってこれを止め湛水を早める。
湛水が予定の水準に達するころ、堰の上流と堰の下流の各作業員に大声で放水することを告げる。
口伝えに全員に届いたころ、もう一度大声で放水実行を告げ、水門を一挙に開き放水するとともに、貯水範囲に浮かんでいる丸太材が、渋滞なく水門を潜れるようトビロを(図B−1)使って誘導する。
貯水の排出が終わると再び堰の要所を点検したのち貯水を開始する。流水量によるが一日中これを何回か繰返し、堰の上流および下流の丸太材の全部が、谷の口まで届くよう続けた。
A城川での管流作業
ア.
川縁にうず高く積まれた丸太材に落とし入れる作業には、熟練した作業員が担当して、使い慣れた山トビ(図B−1)を使って丸太材をリズム良く川に送り出し、出発点よりスムーズに運び、先々順調なる送流が続くよう景気づけをした。
イ.
一方流送する丸太材の先頭部にも、数名の熟練した作業員を配置し、井堰の保護工作(図C−1)や、川流れが二つに別れている箇所では、水量の少ないほうへの侵入防止柵の設置(図C−2)、並びに丸太材の一時止め場作り(図D−1)などを担当した。
ウ.
川瀬の一部に大きな転石のある箇所や、川幅が急に狭くなっている所、また川の流れが岩盤に突き当たって直角に曲がっている所などでは、渋滞が生じやすいので、予め一般の作業員を配置して、その発生を未然に防ぐようにした(たまに、流送中の丸太材の一本が川中に出ている岩などの一部に掛かったりすると、後から続く丸太が次々に掛かり渋滞し始め、水の勢いで二重三重と積み重なり折損木などを出しつつ見る見るうちに長く続き、これを元どおりの流れに回復させるには、大勢の作業員が必要となるため)。
エ.
このようにして流送してきた丸太材は、一旦、日置川本流との合流点直前の止め場で纏(まと)め、本流への送り出しは一気に行った。
ちなみに、城区の周辺から日置川本流との合流点までの約10km、1日当たり平均作業員数25人で、管流に要した日数は3〜4日であったようだ。またこの流域内では作業員は、いずれも自宅から徒歩での通いであった
。
▲図B−2 作業員の昼食に関する用具
B日置川本流での管流作業
ア.
特に出水後は日置川本流でも、上流の木材業者がそれぞれ組を作って管流をしてくることが多かった。そのため本流では予め各組の丸太材が混ざらぬよう、工区的な区間を決めていた。例えば一つの組がある区間内を流送している間は、後に続く別の組はその区間が完全に空くまで待機することになっていた。
したがって支流から本流への流送にも、タイミングを計る必要もあったが、状況によっては業者間の話し合いで一区間分譲ってもらうこともできた。
イ.
本流への流送が決まれば、予約していた船頭つき川舟を2隻雇い入れた。本流との合流点付近で、2間丸太6本を藤ツルで縛って、カモと呼ばれる一枚筏(図B−1)を組んだ。
ウ.
本流で管流に従事する作業員は、一部川縁の浅瀬に乗り上げている丸太材を、正常な流れに戻すなどほかは、ほとんどは舟かカモに乗っての作業であるため、これらの作業経験者が優先的に選ばれた。ちなみに作業員は本流での管流中はいずれも旅館泊であった。
エ.
作業手順は、まず川舟の1隻は作業員を乗せて、流下する丸太材の先頭に回り、前述の区間の境目付近にアパと呼ばれる丸太材の止め場を作った(図D−1)。
残りの1隻は、川縁の丸太材を整理しながら歩いて下る作業員を、対岸に渡したり淵の渦巻に入って正常な流れに乗れない丸太材を、元の流れに戻すなどしつつ、流下する丸太材群の最後尾にも回り、特に見落とし等による残存木を出さないよう、しっかり後払いの役目をも果たし続けた。またカモにも、2〜3人の作業員が乗って川舟の補佐を務めた。
オ.
区間の移動は、一区間以上先を進んでいる他の組の動向に追随しながら、ともかく全部の丸太材を、水中貯木のできる本流の川口まで送りつけた。
▲図C−1 井堰の保護(水修羅)
丸太材の陸揚げと寸検
水中貯木場より陸揚げ一日分相当量を小分けして、蒸気船で予定している製材所前まで曳航(えいこう)し、一本ずつ必ず元口を前にして肩で担いで陸揚げした。陸揚げ場には事業主より指名された立会人がいて、1本ずつ陸揚げされる丸太材の刻印別に(所有者を表す印)を読み取るとともに、刻印別に、加えて間丸太、丈丸太、2間丸太の材種別にその置場を指示した。
丸太材全部の陸揚げが終わると、関係者による寸検がなされ、到着した全丸太材の石数が確定した。
ちなみに寸研は5分落ちと言われる方法で、5分刻みとなっていて5分の間は数値はすべて切り捨てる。例えば3寸4分は3寸とし、3寸5分はそのまま、3寸9分は3寸5分とするなどであった。したがって寸検担当者は目が慣れているために、測定が早く記帳者は復唱しながらの書き留めに苦労したと言っていた。
▲図C−2 分流への侵入防止柵(セーローと呼んでいた)
その他緊急増水時用止め場の効果
管流中に増水し始め、丸太材が「一時止め場」を壊して、城川から日置川本流へ流れ出し、さらに太平洋へ流失すると、元も子もなくなってしまうので、損失を少しでも少なくするために、組立てれば相当頑丈な止め場が作れるように、あらかじめ丈夫な杭を常設していた。また必要なワイヤ類も近くの小屋にそろえて置いていたので、短時間で組立てができ、特別な洪水を除き大いに助かったようだった。(
注)常時頑丈な止め場を作っておくと管流のじゃまになるので、必要に応じ組立てた。
当時の山林作業技術者の回想
木修羅・そろばん等の架線や、木馬道の設置、やえんの架線等々の技術はもとより、山林の作業に関しては、先にも述べたとおり設計書も参考書も全くなかった。そのうえ長老や熟練者たちからも「ここではこうせよ」、「そこではこうだ」といったきめこまかな指導はほとんどなく、自分で先輩の作業を見て体で覚えた。
新入りの若者たちは山小屋での炊事洗濯から始まり、ヨキ(斧)、鋸(のこ)、腰鉈(こしなた)、等刃物の研(と)ぎ方、およびこれら器具の安全で上手な使い方、また、スギ、ヒノキ、マツ等の伐倒と造材、丸太の大小と乾燥の関係、強度の具合等々見よう見まねで、泣き笑いを繰り返しながらこれらの技術を、一つひとつ体得してより早く一人前となり、やがては熟練者の後継者として、高い技術を見につけるとともに多くの収益を得るために、さらに工夫改善を加え効率化を図って努力を続けた。
昭和20年代敗戦後の復旧、特に住宅建設の資材供給に私たちも、ささやかながらその一端を担ったものと自負しながら過ごしてきた。
しかしながら現在の林道網羅等の整備充実、林業の機械化の進展等を踏まえあらためて当時を振り返ってみると、実に危険との背中合わせで、しかも非能率的な伐木、運材作業であったかがわかる。その主力も今はもう70歳をはるかに超え、気力はあるものの、体力の衰えは隠すすべもない。
▲図D−1 管流中の一時止め場の構造
結び
夜が開け雨戸を開ければ靄(もや)の向こうに、50〜60年生のスギ、ヒノキの美林が果てしなく続いている。しかしながらこの村に生まれ、この村で育った私たちの子弟らも、何年か前にすでに村を離れている。なぜこうなったのだろう、またこの先10年後、20年後はどうなるのだろうか、今からでも間に合う施策は本当にないのだろうか、等々考えながら日々を過ごしている今日このごろである。
▲図D−2 緊急増水時の止め場の構造